平成27年1月28日(水) |固定リンク
弘法さんの命日。かつて、比叡山・光永澄道大阿闍梨のもとで行われていた大護摩に毎年のように通っていた。在家得度の真似事をして、山伏の衣装で参加したこともある。この日から立春にかけて、僕の中ではなにかわからないが、うずき始める季節なのだ。 今、唐津の高島が美しく見える旅館でこれを書いている。島には宝くじの神社があるというのだが、どうみても神山の格好で、ハンガリーのバタチョニにそっくりだ。本土側には鏡山という同じく神山があるのだが、松原と重なり見所ある景観をつくっている。残念なのは、波消し堤防があったり、工場が見えたりすることだが、いいところしか見ないように鍛錬していると、消えてくるから不思議である。あの平らな頂上にはきっと何かが埋まっている。 今回は「目の眼」五月号唐津特集の取材である。中里太郎右衛門さんや鈴田館長、今回の元締めである一番館の坂本さんに、佐賀から中尾社長もかけつけてくださった。五月の連休に開催される「焼きもの祭り」には、連載中の勝見さんと茂木さんが参加するシンポジウム(5月5日)が決まった。会場も広いので連休後半の旅行先に如何でしょうか? 詳しくは本誌に讓るが、唐津では、唐津焼が生活の中に溶け込んでいると思っていたが、残念なことに古唐津、という響きに反応する人は少ないという。地域で育ち、70人余の陶芸家が暮らす街だが、あまり関心がないことにショックである。歴史は買えない。子どもの頃からの教育は大事である。 中里さんの先代が蒐集した古唐津200点やその破片、東アジアの古陶など9,000点(だったけ?とにかく沢山)寄贈しており、美術館建設が待たれるのだが、市はあまり積極的ではないのだそうだ。この街がこれからどんな方向に進みたいのか?これは市民が決めることだとは思うが、唐津好きから言わせれば、当然あるべきのものがあるべき場所にないという、しかも箱物の中身があるのに、馬鹿げたことではないか。見て触れて日々使い、人の人生とともに育っていくのが唐津焼である。郷土の伝統を、しかも毎日食卓にのぼる食器として誇りも持つことが、最低限の責務だと旅人は思う。繰り返しになるが、歴史は買えないのだ。 明日は唐津の窯跡巡り。古唐津はまだまだなぞのことが多いが、わからないことも魅力であり、無条件に受け入れられる日本美なのだ。昨今はこの無条件がだんだん怪しくなっている。わかりやすいことは詰まらないことと同義ではないだろうか。
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