平成22年3月29日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第13回 〜原始より続く国東の巨石信仰〜”と、“古都逍遥・庭園に学ぶ”が掲載されました。 平成22年3月28日(日) 大山積神社 大楠 今週は東京にいた。珍しく朝からTVをみていた。腹が立ってくる。 政治にメッセージがまったく感じられない。 基地の最後は「駐留なき安保」でしょう。どこに移すとかそんなことまだやっている。解決できなことを、「さも出来る」と喧伝しているだけだし、「かれらでは出来なよ」と多くの人に思われていることもわかっていない。危機感はゼロで、郵便局の件も含め「民意」をなんだと思っているんだろうか。権限を地方にうつして、政府は小さくする。小泉さんの基本は正しいと思う。官業や大きな組織に「個人」なくなっていくし、そんなものにぶら下って生きていくのはやめないと、大きな泥船にみんなでのって沈んでいくと思う。 救われたのは大日本印刷との仕事である。来月はじめて骨董の本を出すことになったのだが、PDの小関さんをはじめかれらの姿勢が嬉しい。「いいものをつくる」という意気込みと、何より生き生きとまっすぐな目をしている。初校も最高だった。いつも思うのだが、どんなことをしていても「情熱」をもってやることしかないんじゃないかな。力をもってかたがたにそれがないのが残念である。 今日はこれから英国在の友人新立昭夫に会う。かれのモノづくりにかける話を聞くのがいつも楽しい。 平成22年3月23日(火) VALUES/VOLARE 2010 SPRING 号に、“食と器、見立ての愉しみ 第八回「蟹」”が掲載されました。 平成22年3月22日(月) 千代田でみつけた ヒノキ 東京へ戻りすぐまた西へ。広島の古保利薬師堂、耕三寺、大三島大山積神社をまわり尾道に泊まる。尾道は青山二郎展以来三年ぶり。この前行った寿司屋が思い出さず、タクシーの運転手二人に聞いてお薦めのところへ行く。「今日はこれしかネタはありません」と潔いいい店の主人だった。子どもころは毎年夏に遊びにきたけど、広島も久しぶり。岩田幸雄さん、林房雄氏の小説のモデルになった「武器を持たない海賊」(勿論その頃は存じないが)宮島の前に別荘があって、毎日宮島を眺め過ごした。ただ、焦げるほど暑かった。運転免許をとって最初のドライブもここだった。広島のおじさんは(岩田さん)は心配してインターチェンジで迎えてくださり見送ってくださった。 広島の取材依頼が芳しくなく橋をわたって松山まで足をのばす。畏友の西村瞬の尽力により、庄薬師堂、宝厳寺、浄土寺、大宝寺で魅力的な仏と出会う。晩には白洲展でお世話になる愛媛県美の遠藤課長、アイテレビの梶原さんと飲む。週刊ポストの太田カメラマンとの車談義は面白かった。広島松山紀行はポストをお楽しみに。 古保利薬師堂 庄薬師堂 平成22年3月22日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第12回 〜人間味溢れる日本最大の不動明王〜”が掲載されました。 平成22年3月16日(火) 家庭画報とJR東海、近鉄との仕事で平城京、唐招提寺、法華寺、新薬師寺とまわる。遷都1300年祭ということで奈良は今年賑わうだろうが、ちょうど東大寺お水取りの最終日に当たっていた。伊賀の福森さんが来ているんではないかと電話したら、案の定向かっているという。しめた、と思い宿泊した三笠ホテルから山を降りて東大寺へ。 六時半に二月堂で松明に火がつかられた。舞台に全部一遍に並ぶのはこの日だけだ。次々にあがる必要があるので、通常の根つきでない真竹(それでも4〜50Kあるという)を、「講」のかたが担いで階段をのぼる姿は壮観である。福森さんは内陣への参拝をかけあってくださりしばし時を過ごす。 お水取りは何度目か?久しぶりだったが火祭りとして一般には有名だが改めて「篭り」の修行なんだと思う。般若湯が十分でなかったので今日も記憶が鮮明だ。いいことなのか?「火と水」五体投地に韃靼。この世とあの世と、現実と夢幻が交錯した時間だった。最後に修行僧が会談を駆け下りて終わる。 と思っていたら、春日大社のお田植え祭りで、大社の秋田さんにお会いしたら「あれから摂社をまわり護摩が炊かれ朝まで業がつづく」という。大社のお田植え祭もエキゾチックな色に化粧、弥生の匂いも感じられる演出はなかなかのものだ。大きな祭りではないが社が建つ以前から稲作と祈りは一体のものだったんだろう。 晩に京都に移動し久しぶりに「らく山」に。ポストの太田さんと酒井さんと合流し、大社で頂いた新酒を飲みながら、新物の蛍烏賊に稚鮎、桜鱒にモロコと旬のものを堪能する。本当に美味い。 鮪の輸入のことがニュースになっているが、地球の裏側からあらゆるものを仕入れるのはそろそろ止めたらどうか。一年に数度本物を味わうべきで、普段は粗食に徹しよう。鯨やイルカの問題とは全く違うことで、そちらこそ命がけで守るべきだろう。鰯や鯵など小魚を、たくさん食べられて、それが食卓に上がらない方になることが大問題だ。原田さんの旬な味をどうしたら美味く食えるかという真摯な料理人の姿勢と五穀豊穣の祈りを感じた。 これから相国寺管長の有馬頼底氏にお会いする。 平成22年3月15日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第11回 〜海沿いに鎮まる八幡神像〜”が掲載されました。 平成22年3月14日(日) はじめて新幹線に乗ってパソコンを使っている。でもいくらやっても無線は繋がらない。仕方なく日記を書く。 今週は四度目の新幹線だ。それにしても新幹線は偉大だね。これは運転した人でないとわからない。 日曜美術館の撮影で今年二度目の岐阜県美並村、星宮神社へ。円空さんと縁が出来そうである。京都聖護院では週刊ポスト古都逍遥の撮影。前田さんは想像通り活発なかたで、鎌倉、御成中学校の先輩だった。 悲しいこともあった。鎌倉八幡宮の銀杏の大木が倒れた。本当に信じられない。幼い頃の自分史がボッキと折れたようで、実朝や源氏の死、古都鎌倉がなくなったような大事件である。自然と涙こぼるる。 誰にでも思う出の木はあると思う。鎌倉の小学校にケヤキの大木があった。僕はそれも心配になる。人の人生なんてちっぽけなものだと、神様のように生き続ける各地の神木を大事にしなければならない。だが、倒木すれば新たな生も誕生する。これから千年の歴史の証人となる銀杏の子どもに期待したい。 六波羅蜜寺の川崎山主にDEEPな京をご案内頂いた。大覚寺の黒髪執行長は、「とんでもないこという人だな」と思いながらも、僕の無理な難題を受け止めてくださった。(ようだ)僕は真剣すぎる傾向があって迷惑かけるが、気持ちが通じる人を大事に生きて生きたいと最近強く思う。 今奈良だ。親友の父親が亡くなった。かれも表出さないがBRORAという今までにない酒を飲ませてくれた。合掌。 平成22年3月8日(月) 黄瀬戸と 志野徳利 黄瀬戸の盃を手に入れた。(といってもまだ持ってきただけだけど)祖父の小林も同じようなものを持っていたが、一瞬見ただけで惚れた。見込みは典型的な油揚げ色で、緑の釉薬や高台の黒く焼けた景色も申し分ない。これで焼酎ロックはたまらないだろうな、と思って値段を聞くと、「実は言いにくいのですが、先約がいまして」と申し訳なさそうに店の主人がいう。事情を聞くとこの前、業者の会のセリで、落としたばかりのもので、情報を聞きつけたあるかたが来週見に来る約束だと申し訳なさそうに話す。 持って帰るという手もあるが、いろいろ主人に言って取り合えず帰る。そして翌日もその次も電話をかけて、こちらの本気度合いを伝える。三日目に電話をしようと思ったら、難局?を乗り切った主人から「第一関門突破しました」という連絡をうけ店へ直行し、持って帰ってきた。 金曜日、週刊ポストの編集部と瀬津(古美術商)という妙な組み合わせの会があった。編集部と瀬津さんの店のかたが結婚したことが縁で、この前撮影でもお世話になった天現寺の「せいそうか」に行く。瀬津君とはこの世界の盟友で、実は前出の盃は、その会のセリで競り合ったもう一方が彼であった。勿論、僕はその盃を持参した。 かれの眼の前に「ちょっといいものを手に入れたから」とそれを置くと、黙って盃を見つめている。「なんでこれがここにあるんだ!悔しい!」と言って、氷と芋焼酎を注文してガンガン飲み始めた。いつも骨董のことで彼にやりこめられているので、僕は気分だった。モノの巡り会わせというのは不思議なものだ。瀬津君に「君がセリ落としていたら見せたか?」と聞いた。彼は少し考えて「自分で使いたいものとして売り物にはしなかったかも」と。 古美術に生きる人は、商売以上にモノが好きなんだと改めて思う。彼は続けて、「この黄瀬戸の分れを大磯の川瀬さんが持っているので、これを落とせたらまず彼と飲み、比べ自慢しあいたかった!」と白状した。モノをはさんだ人間関係というのはもう一つの楽しみだ。今度三人で飲もうといってわかれた。 平成22年3月8日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第10回 〜石造りの宝庫・近江の磨崖仏〜”が掲載されました。 平成22年3月1日(月) スペインの谷口さんが帰国するということで、新潮の野中さんや秋山さんほか珍しい面々に会う。谷口さんはスペイン在住何十年というコーデネイトのベテランで、僕も一度取材でお世話になる。かれが頼もしいのは、取材対象のみならず、食べものの情報が多い事と、こちらの好みを的確に把握できることだ。酷暑のなかでの取材を頑張れたのも、うまい食事とマンシャニージャのお陰である。ベントレーでスペインをかけぬけたのも、随分前の事のようだ。かれはまったく変わることはないけれど。 先週は東京にずっと居た。歯医者というものに十五年ぶりに行く。オヤシラズが生えたみたいなんだが、なかなか出てこない。どうも変だと思っていきレントゲンをみると、なんと真横の歯にむかって直角にはえている。医者の話ではこれ以上でてこないということで帰ろうとしたら、歯石というのがたまっているという。なんだかわからないうちに口をあけられ、掃除された。虫歯がないだけで歯はいいわけではないようだ。 今日は祖父の命日だった。例年いろんなかたがお参りをされているようで、今年もお墓は花で埋まっていた。鎌倉のひろみが月曜日は休みなので、お墓でお会いした新潮社の池田さん、三田さん、近衛さんらと葉山の一色で蕎麦を食べる。すると、どこかで見たかたが入ってこられる。ひろみさんの一家だ。蕎麦屋で天ぷら屋さんのご主人をみながら、天ぷらを食べるというのも妙な感じだった。僕は車なのと、夕方用事があったので先に帰る。例年雨が降るのだが、今年は暑いくらいだった。お墓の写真を撮るのを忘れたので、せいろを撮ろうと思ったけど食い気で忘れてしまった。 平成22年3月1日(月) 家庭画報に「生誕100年に向けて:祈り−白洲正子が見た日本人の信仰〜最終回」が掲載されました。 平成22年3月1日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第9回 〜山奥に鎮座する圧巻の秘仏〜”が掲載されました。 バックナンバー 平成30年
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