平成24年4月21日(土) |固定リンク
今年の桜をたずねる旅はおわった。 朝早く目覚めふと新名神 走りたくなり吉野へむかう。たしかに走りやすい道路だ。2兆円が高いかどうか難しいところだが、山側に東西の大動脈がもうひとつできなことは、台風のときなどいいことだろう。だが、道路はよくなっても車のマナーがかわらない。とくにプロのドライバーの意識の低さはめにあまる。それに、せっかくこんないい道路つくったのに、またこれだけ車の性能があがっているのに制限速度がいまだ100km/hというのは悪代官の所業である。車種によって車線をしっかり規制し、欧米並みに制限速度をあげるべきだろう。日本はいつになったら成熟した社会が構築されるかな。 さて、途中に MIHO MUSEUM の展覧会に立ち寄る。いつもながら展示が素晴らしい!入った部屋、曲がった奥の場所、右見て左みて所々にアクセントをつけている。驚いたのは吉野蔵王堂「六田知弘写真展」で蔵王権現のブロンズ像を、イタリーの赤い壁の写真とあわせ展示したんだが、まるで示し合わせたようにローマだったかギリシャの女神のブロンズの光背に、同じ赤い壁を制作していたことだ。学芸員の金子さんによれば、イタリーから漆喰をとりよせて、赤の濃淡の具合を職人さんとつくったのだという。かれがあまりにしつこいので、怒って帰ってしまった人もいたという。でも、そのくらいの情熱を注いだからできることがある。いまどき贅沢なことだが、その豊かさを生かすも殺すも展 覧会にかける愛情次第なのだ。ほんとに気持がいいよ。 お堂のなかにおさまったような十一面観音像、神社の本殿にあるような女神像、清潔な白い部屋……。いつも新しい発見がある。写真におさめたい展示おおし。なんで日本の美術館は写真禁止なんだろうと思う。ルーブルだってオルセーだって、場所によっては駄目なところはあるけど、フラッシュたかなければ問題ないんじゃないかな。自由が少ない日本。さて、会場で学芸員の桑畑さんがわざわざ挨拶にこられた。「来年根来をやるのでよろしく!」という。こちらこそよろしくだ。秋には東さんが土偶をやる。もう僕が大好きなことばかり まったくうらやましい!あんな展示がいいんだからもっと図録にもちからをいれたらいいのに と呟きながら満開の枝垂れの参道をあとにした。 時間があったので畑の枝垂れをたずねる。もうおわりだったが田舎に一本立ちの桜にはなにか意志のようなものを感じる。伊賀一宮敢国神社の参道にも小さいけど各種桜が植えられている。僕は吉野への前奏をきいているようだった。夕暮れの蔵王堂からながめる山桜たち。もう旬は過ぎていたがここの桜はいつもちがう。そして再びご本尊の金剛蔵王権現と再会す。これから新緑の青と蔵王さまの青の季節を吉野はむかえる。
平成24年4月18日(水) |固定リンク
ふっと朝早く目が覚める。このまえ雑誌でみた「桜川」のことを思い出し、飯も食べずにでかける。生憎の曇り、夏のようなギラギラした太陽もでていなかったが、首都高はすいていて目的地まであっという間に到着。そうそう、ETCカードを忘れて900円にあがっていたことをしる。いったい選挙のマニフェストっていうのはなんだったんだろう。やるやる番長は無料どころか料金があがるんだから落第ってもんだ。政治は結果責任だからね。 茨城県桜川 謡曲桜川の舞台となったところで、西の吉野 東の桜川 というほど古くから桜の名所として知られていた。恥ずかしながらはじめて 磯部神社の桜は見ごろを過ぎていたが、整備された公園に植えられた各種桜 染井吉野なかりではなく山桜、大島桜、枝垂れに普賢象まである!ゲートボウルする近所の人以外だれもいない桜の公園 ちょっといい。遠望する山々には三部咲きの山桜がいいかんじである。名木があるわけではなく、露天が軒を並べてもないが僕は好感をもった。ここは染井吉野ではなく山桜がふつうにだからだ。桜川の源流である鏡が池は物語の情緒はなくなってしまっているが、筑波への田舎道もなかなかのドライブコース。 天気も回復してきたので、常陸一宮 鹿島香取両神宮まで足をのばす。桜に囲まれた一日 今年の仕上げに明日から吉野へ。
平成24年4月1日(日) |固定リンク
吉野のかえり大倉源次郎さんとはなしていて、蔵王堂の内陣は音が響いて気持ちがいいという。今回ちびっ子桧垣本座の舞台をみて、子どものときの体験が伝統文化にとって一番大切なことで、こういうことが行政の仕事なんじゃないかと強く思う。吉野のお隣り、大淀町に桧垣本猿楽というのがあって、お囃子方のルーツがあるのだという。笛の藤田さんは、子どもたちがお能と親しむことによって、住んでいる町の歴史を学んでいって欲しいと強く言われた。 教科書の検定をはじめとして、教育の中央集権システムはこうした地域固有の文化に目が向けられることはない。歴史教科書は縄文からはじまり弥生、古墳、飛鳥と続くが東北に弥生がどれだけあったか?古墳なんてないに等しい。つまりあれは大和政権の歴史であって、東北のことをまったく無視してかかれたものだ。地域振興、活性化とかよく耳にするけど、全国一律の構造で考えても駄目なんじゃないかな。 例えば、大淀町では能楽は公立小中の必修科目とする。講師として能楽協会の協力を行政がとりつけて、年に一度大きな発表会を蔵王堂で行う。これも公会堂とかでやったらダメ。地元の人は地元のものに触れないからである。奈良の人は吉野の桜をめったに見に行かないという。 国歌斉唱とか国旗掲揚とかいう問題も大事なことにちがいないが、地域のことは地域で考え実行する その裁量権を与えること 一刻も早くやってほしい。お寺や神社の宗教施設は、伝統文化の継承の中心地になるべきだろう。政教分離。そんなこと決めた政府よりこっちのほうがずっと長いんだよ。吉野は明治の神仏分離で大打撃をこうむったが、蔵王権現様は健在だ。修験についてもおなじことで、吉野町の必修科目にするべきだろう。 ラフィネールアッシュ広告 3月31日・日経プラス1掲載 (クリックで拡大) バックナンバー 平成30年
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