平成24年11月23日(金) |固定リンク
あれや、これや二月くらいか?随分と揺れ動き,一時はその気になり、今またもとに戻って書いている。はじまりは震災 その後の政治の停滞である。 20年前、僕は当時行政改革審議会の部会長であった細川護熙に手紙を書き、91年末に細川事務所の秘書となる。翌年、日本新党結党に参画、党代表、参議院公設秘書を務め、92年の総選挙において衆議院初当選で総理大臣になった細川代表と官邸入り、細川政権下、官邸秘書官室にデスクがあった。あのときは政治改革一色、僕はまだ若いこともあったが、小選挙区制度が成立し、政権交代可能な二大政党が出来たら、世の中がかわると信じていた。あれから長い時間はかかったが、三年前に民主党が政権をとり、変化があると信じていた。だが、その後の停滞。当時の仲間である野田総理や、細川事務所の上司だった長浜環境大臣など政権内部に関係者がいたことも少なから ず影響してい る。このまま外 野から気晴らしにものを言っているだけでいいものだろうか? そんなとき、細川政権下の外交ブレーンであり、祖父の次郎とも親交があった木内元フランス大使のご子息である木内議員と知りあった。年も近いこともあるが、ざっくばらんな人柄と、共通の友人である徳川家広や茂木健一郎さんらと話しているうちに、シンクタンクをつくり意見を広く知らせていこうということになった。真面目に、ものを考えていると、確かに個々の政策も大事なのだが、「近代科学」の裏側に隠れていることが気になってくる。そうか、きっと昨年の震災を契機とし、もっと大きな分岐点に日本がいるように思えてきた。 明治の「富国挙兵」、戦後の「大量生産と消費」。国としてある方向に極端に流れていく危うさ、それは明治の近代化とともに失った、多様性が原因の一つではないだろうか。1000年続いた神仏習合は、明治維新を境に、仏は廃仏。神様もまとめられ、神と仏の仲介である修験道は禁止となる。結果、天皇は神となり、はじめて一神教の社会となった。戦後、表向きは改まっているように思っているが、まだ明治の残像はある。例えば、皇室では仏教色は無くされたまま、ご位牌は御所から御寺である泉桶寺にうつされ念持仏の習慣も失ったままである。神の側も伊勢神宮を頂点とした体制が維持され、総理の新年参拝の地であり続けている。だが、八百万の神々は平等で、また自然 は人と同じ目線でいるはずなのだ。 そんな中、石原都知事が急に辞任する。ちょうどその日、僕らの政策集団の事務所開きに当たり、「お前都知事に立候補しろよ」という感じになったら、どうしたわけかそれがニュースとなったのだ。犯人はわかっているが、彼の僕への思いは真剣だった。茂木さんをはじめ仲間もまた然りである。僕は大それたこと、とは正直思ったが、僕のそんな個人的な認識を広める機会だとも考えた。知事が目的というよりそれは結果で、この仲間となら何か出来るかもしれないと真剣に考えた。大阪で同世代が張り切っているのもかなり影響している。内心は「大阪 なめんなよ、東京もやるぜ」という思いもあった。一方で、何でもさめてみれる自分もやはりいた。「解散があったら、 関心は国政にいくので、選挙にならないな」とずっと考えていた。野田総理の「近いうち」というのも、昔の氏を知る人間としては、生真面目な総理の性格ならもしや、と木内さんは「絶対そんな狂気なことはしない」との立場だった。 14日夕方、茂木さんと3人で冷静に話し合い断念することになる。現状の報道をみれば正解だったと思う。国政に比べれば都政なんて一地方選挙だね。ほっとしたけど、僕のために快く賛同してくれた仲間の顔が浮かぶ。付き合いは短いが、ずっとやっていけそうな金杉さん、光嶋さん、、、旧知の橋本さんに小池さん、、、無論、家広や心を決めている熱い友人の茂木さん。そして木内さん。「負けるからやめとけ」とか言う奴もいたけど、結果だけが全てではないことは先に述べた通りだ。「いざ鎌倉」の心意気を共有しない奴は、もう友人じゃないね。茂木さんの「偶有性に飛び込む勇気」これが日本全体に欠けていることだと信じている。それがよくわかった。準備中に、 こんなことがなければ会うこともない素晴らしい方々との一期一会もあった。決して無駄 なことではなかったが、僕は故郷の東京のことをこんなに考えたこともなかった。いまの東京ミッドタウンにあった檜町公園、子どもにはちょうどいい一周できる自転車コースがあって、学校帰りにいつも競争した。大雪に日には雪合戦もできたし、今のようなコンクリートばかりの東京ではなく、土の匂いも感じられたし、すべてが舗装道路ではなかった。日枝神社の夏祭り、屋台でヒヨコ買って、飼えるわけないから、返してきなさい、って言われたな。あのときは悲しかった。東京にあった田舎の香り 大事なことだと思う。オリンピックを知らない世代が、声をあげ るべきときにあげることも,大事じゃなかったかと、いまも少し思っている。 以下、まだ粗削りだが、お蔵入りの発表しようと考えていたことを記す。「後世に残すこと、もの、人」行政が出来ることは文化しかない!僕の尊敬する聖徳太子から奈良の都まで、争いのなかに、シルクロードを中心に国際化の渦のなかで、葛藤した我々祖先。今よりずっとグローバルな日本だった。必要なことは排他主義ではなく、混ざり合い議論することだと信じている。なぜ発表が23日だったか?フジテレビの朝倉さんに、「番組が飛びますからよろしくです」と念を押されていたこともあるが、(今晩の料理の鉄人SP出演予定)新嘗祭だからである。声高に領土とか、憲法改正などを前面にだして「日本の誇り」とか言うけど、すぐにできることをしていくべきであ ろう。GHQにより改悪された祝日の名前なんだ。「脱」とか叫ぶだけではなく、東京中の公共施設をLEDにしよう。大袈裟ではなく着実に一人ひとり国のこと 考えよう。僕は分岐点に日本がいる、歴史的な直感がしている。以下「東京」に興味あるかた 御高覧ください。 2020年「東京の選択」 2012.11.14 オリンピック・パラリンピックへの未来地図。 ◆東京の「文化力」を新しい成長の原動力にします。
◆2020年、原発ゼロを目指して、責任ある脱原発を推進します。
◆災害に強く、弱者に優しい、「ふるさと・東京」を作ります。
◆透明で効率的な都政を実現します。
平成24年11月11日(日) |固定リンク
奈良大神神社に参拝する。小学校五年の冬休み 祖母と参拝してから何度、いや百回は手を合わせているだろうか。なにもわからず、また説明もなく連れて来れれたのに、強い印象と気持ち良さといい後味が残っている。僕の原点のような地で、橘寺、法隆寺、そして叡福寺と聖徳太子を追いかけての旅だった。「太子に興味があるなら現場に行かなきゃダメよ」との祖母の言葉の意味は今噛みしめている。以来春や夏の休みに京都、奈良、近江など「なんでもみてやろう」と地図で寺社仏閣を塗りつぶして歩く。山がみえない東京 も う一つの故郷と思っているのが三輪なんだ。風景から語ってくれること、今回は伊勢の遷宮関連の取材だったが、小林が「お天気勾玉」という、ゴルフのおりに握りしめていたそれを旅のお供にする。山、石、水、土……。「人は自然のひとつ」という世阿弥の言葉を思い出した。境内では新酒にお祝いに欠かせない新しい杉玉をつくっていた。お山の杉を重ねてつくり、重さ150キロにもなるという。防腐剤の意味もあるのだが、お山がご神体である神社の依代なのである。ここは本殿はなく拝殿だけで、お山にむかってお祈りをする原始信仰をいまに伝えているのだ。ここから伊勢へ アマテラス大御神は新天地を求め歩き国家の宗廟を建立し、倭は日本となる。来年行われる伊勢遷宮は62回目を数える んだ。歴史の記憶と重さを次の世代に伝えていかないとならない。
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