平成24年1月30日(月) |固定リンク
週末、房総半島に。横須賀線に木更津や上総一ノ宮行きというのがあって、鎌倉に住んでいた頃「一体上総はどこなんだろう」と思っていた。ある日知人が「横須賀線は乗り過ごすと太平洋まで連れて行かれる」というのに、太平洋の響きから南国のように明るい大地なのかと感じた。大学の研修所があって夏休みに御宿に行ったのが最初で、でも数えるほどしかしらないのだ。一宮巡りを念頭にしてから、全国社寺のニュースには目がいく。先般、上総の寺で年に一度秘仏のご開帳があると新聞で知る。それも軍茶利明王だという。近江 金勝寺のそれを滋賀近代美術館の展覧会に出陳したのが思い出される。いい機会なので上総下総の一宮とともに歩くことにする。 上総一宮 玉前神社。住宅地にひっそりと正月飾りがめにつく。本殿修復中であった。下総には一宮がふたつある。ふたつあるというのは変じゃないか、と思ったけど一宮というおだやかな制度は時代の要請に柔軟だった。本家分家の争いじゃないが、根拠をつくって名乗りをあげるところもあったようだ。 下総の安房神社、白い鳥居から桜の参道がのびて神山らしき麓に鎮座する。社はひろく立派で明治の合祀のときに寄せられたのか?勧請神や産生神が近代的な建造物におさめられている。たしかに管理するにはいいだろうけどさ。 最後に洲崎神社に訪れた。小さな半島に突端あって海から一直線に参道がのびている。ところどころで園芸の花が栽培され、南国の島にきたような明るい地だ。どの社も海の近くにあることから、房総の一宮と海神とは一体のように思う。玉前は豊玉だし安房とここは海からの目印に最適な神山がある。本殿まではかなり急な石段を登るのだが、走って上下する若者がいた。参拝者もいない社はかっこうの練習場。海まで歩いていくと、鳥居がみえてきた。天草を干しているおばあさんに、鳥居はどの方角をむいているのか尋ねると、「西ですよ〜夕陽が沈むからね 晴れていたら鳥居の真中に富士山がみえるんですよ」という。僕は倭建命の伝説や石橋山で敗れた頼朝に思いをめぐらす。古代の道は三浦半島か ら海をわたるとどこかに書いてあったが、海路は主要交通路であったのだ。きっと神武東征とにた歴史が房総にあり、鹿島や香取の中央の神々たちは、ここから上陸して北上してのだろうか。 旅のきっかけになった秘仏は痛々しかった。東浪見寺の軍茶利明王。廃仏毀釈でいためつけられ風化がすすんでいる。だが、カヤの木魂は健在で、神像のようにせまってくる。村人が年に一度のご開帳に集まり薪を囲み歓談していた。悪法のつけは全国各地に大きかったが、こうした信心深い人々によって信仰は守られ受け継がれていくものだ。
平成24年1月30日(月) |固定リンク
文藝春秋社「嗜み」13号に、「白洲次郎、正子の愛した田園生活」を寄稿しました。 平成24年1月16日(月) |固定リンク
夜中に原稿書いていたら、「いつ鰤食べに行きます?」骨董のライバル(最近は引き離されてどうにもならないが)桜井氏からメールをもらう。「今年は行けるかわからない」と返事すると、「じゃあ送りますから捌いて下さい」と。調子にのって「10キロ以下は鰤とはいいませんからね〜」届いて驚いて。こりゃ大変。何とかまな板にのせて一時間格闘。「頭は割れないって言っていましたよ」というので、最後に頭をかちわってやった!「細かくなって詰まらないや」と勝手なこと言ってビールのみはじめる桜井さん。まったくこれから料理だから飲めないのにさ。 刺身、あら炊き、しゃぶしゃぶ、最後は炭火であぶってやる。予定より人数増えてあらかたなくなった!鰤はすてるとこないね。鰤はえらい!さて、今晩は鶏鍋だ!
平成24年1月11日(水) |固定リンク
連休を利用して初詣する。相模一ノ宮 寒川神社。子どもの頃、「交通安全 寒川神社」の黄色いステッカーが記憶にのこっている。鶴岡八幡宮もみかけたけど圧倒的だった。高校の野球部の練習所が、相模川門沢橋近くになって、川のむこうに側に見える森が寒川神社だと知ったときはなんだか嬉しかった。大山がそびえ相模の国のここが中心 京都奈良などと関西方面ばかり見聞してきたけどなかなかいいところだ。だが、川にそって圏央道の工事が進んでいてびっくり。カヌーをやっていたころ、高速道路ができるとかできないとか言っていたのを思い出す。このあたりの東名は混雑することが多いので確かに便利だろうが、神社と密接な相模川が分断された。またひとつ思い出の場所が消滅したようで淋しい。 僕の家のそばをとおる国道246、大山街道といい大山に鎮座する阿夫利神社へお参りする街道である。というのは知っていたけどお参りしたことなかった。伊勢原から東名高速をくぐると神社の鳥居があり、大山がくっきりそれにむかって旧参道だろうゆるやかに上って行くと里宮?があり、さらに急坂になりケーブルカーの駐車場へ、のはずだったが一杯でとめられない。たくさんの団体バスや登山者とすれ違い、大山詣は健在なようだ。せっかちなので出直すことにする。 翌日はオオカミ詣。聞き慣れない言葉だが、「オオカミの護符」を読んで以来気になっていた。三峰神社は狛犬ならぬオオカミが眷属である。日本オオカミは絶滅したということだが、どこかにまだ潜んでいないかな と望みを捨てずにいる。国土の開発で動物を山奥に追いやってきたが、オオカミは熊や猿と比べ愛着がある。犬好きだからかもしれないが、人間と長い歴史を過ごしてきた。絶滅したけど信仰のかたち は伝えていきたいものだ。さきの大山から続く山岳地帯は、修験者が跋扈した山々で、廃仏毀釈まではお寺があり講がさかんだった。このあたりのことは「オオカミの護符」に詳しいが、講のような信仰のかたちの共同体が集まった連合国家、日本だったように思う。伊勢や熊野など遊行でき ない人は代参を頼み、ご加護のもとに生活していた。いろんな神様にお参りいくというのがまた日本らしい。近代化のもとで忘れられ捨てられたもの 見直す時期になっているように確信している。
平成24年1月2日(月) |固定リンク
明けましておめでとうございます。元旦に書こうと思ったんだけど、連日飲みすぎでお屠蘇気分がぬけません。 年末さいごに素敵なものと人に出会いました。写真は黄瀬戸盃 五客そろいというのは珍しいのだけど、凡庸な黄瀬戸ではなくシャープで初心なでき。昨今ではこの手をばらして売ることが多いのだが、そろいで勲が買った。えらい!箱も古く、ほんとうに大事に伝わってきたことが感じられた。「僕はこれ」と桜井さん ダーさんは「これ」。「いやお前はそんなこという資格ないだろう!まず残金払え!」と勲。珍しくみなの好みが違っていた。それだけひとつひとつに見所があった。同じものが畠山にもある。 大晦日は茂木さんとのむ。翌日つまり元旦にはパリにたつという。忙しい人だ。でもありがと。 三十年くらいまえに行ったことのある店はすっかりかわっていて、その頃の味も雰囲気も感じられなかった。そのときの印象がよかっただけにほんとにさびしくなる。連れて行ってくれた料理人も鬼籍にはいっている。チョイス失敗 みなさまごめんなさい。 茂木さんの弟子の植田さんに担がれて帰宅。(したようだ)年が明け愚息と「おめでとう 万歳」したらしいのだが記憶にない。本年は記憶に残る飲み方に改めないと、と毎年だけどまた誓う。茂木さんは「来年はかわる」と書いていた。ほんとにできるからうやらましい。 バックナンバー 平成30年
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