平成21年6月29日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第25回 〜初夏を食ふ〜”と、“古都逍遥・庭園に学ぶ”が掲載されました。 平成21年6月25日(金) 李朝白磁大壷 今週はよく雨が降る。梅雨のしとしとというのはなくなってしまったのか。 先週通過した「臓器移植法案」。脳死は断じて人の死でない。魂を鎮める。鎮魂とか大嘗祭、もっと遡るなら倭建命の望郷の歌とか、我々には蛍を魂にみたてたり、お盆で死者の霊を呼んだり、死者との交流があるのである。事務的に人の死を扱うのはそぐわない、と思う。提供したい人がいて、移植をのぞむ人がいれば実現させたらいいと思うけど、簡単に亡くなった人を扱うべきじゃないし、人は臓器だけのパーツが集まっただけの生き物じゃないんです。心とか魂とか・・・もっと深遠なるものが存在する。クローンの問題だって根本の倫理は同じじゃないかな? 某知事の話題。もともと知事より衆議院が偉い、とか上昇志向だけで生きている人間なんだから、この国を良くしようとか、地方から日本を変えるとか、少しはそんな気持ちがあるのかもしれないけど、本質は「自分が自分が」というだけなのである。 自民党というか古賀さんは選挙に少しでも有利になればいいことをしているだけで、終わったら使い捨てるつもりだろう。自民党は権力のためなら何でもやる。社会党と一緒になったんだから。もともと国政に行きたい人との利益が一致しただけで、あとはいろいろ言っても結局出るんだろう。出たいんだから。知事も軽くみられたものである。 大阪の橋下知事、全部言っている事に賛同はしないけど、世論に惑わされずこれからも戦って欲しい。某知事はちっとも戦ってないし、僕はクレバーな過激な人が好きである。国政に惑わされず、しばらく西から大きな声をあげて欲しい。断っておくが僕はお会いした事もないし、いち国民として見ていたいだけである。 今週は写真がないので、先般見た李朝白磁大壷を添付する。もうこんな大壷は民間にないだろう!いやーいいな。長谷川利行のガラス絵とピッタリだ。 平成21年6月22日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第24回 〜漆〜”が掲載されました。 平成21年6月19日(金) 王龍寺 今週は旅がらす。 まずNHKの吉田さんと待ち合わせし、若狭に行く。二ヶ月ぶりだった。田んぼの田植えはおわり、木々は新緑から落ち着いた緑になっている。明通寺の中蔦ご住職としばし歓談。国宝の三重塔、本堂の深じゃ大将はやっぱり素晴らしい。祈るように手をあわせた。 午後、中山寺の杉本ご住職にお時間を頂く。ざっくばらんな文化財の専門家である。来年ご本尊の秘仏「馬頭観音」が三十三年ぶりのご開帳を迎えると聞き、祖母正子との巡り会わせを感じる。その三十三年前のご開帳に行っているのである。 「あのときは私もまだ若くて」と笑っておられた杉本ご住職。「特別に出開帳できるかな?」と言ってくださって僕はお気持ちがうれしかった。現実化されたら尚更である。中山寺の青葉山周辺の松尾寺、馬居寺のご本尊も同じく馬頭観音の一品だ。特別な信仰のありかたを紹介できるようお願いするしかない。 羽賀寺の妖しい十一面観音と再会。本当に美しい。本堂に座すのが本来のありかたと思う。お願いするのもはばかれるが、多くの人がこの素晴らしい環境で拝めるきっかけにしたいとの思いを玉川ご住職にお伝えする。実直なかたのようである。 奈良で押鐘さんと野呂さんと合流。勝林寺、正福寺、飽波神社、西岳院、矢田寺など富雄川に沿って行く。激しい夕立のあとに訪れた王龍寺の石仏、これは言葉がない感動である。詳細は家庭画報に必ず書きます。写真だけでも十分に素晴らしいけど。奈良の市内近くの山中にまだまだ凄いものがある。 今日はこれから龍田大社、法隆寺など訪ねようと思う。奈良はすっかり夏の日差しにはってきた。法輪寺の虚空菩薩もおまいりしようと思ったけど、ご住職に「また来たか」と思われるのも心苦しいので遠慮した。壮観な仏群なので近くに訪れた際は是非拝みに行ってみてください。 矢田寺 紫陽花 王龍寺 大黒堂への道 法起寺 三重塔 平成21年6月15日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第23回 〜蛍と嘉祥菓子〜”が掲載されました。 平成21年6月13日(土) もう一週間か。驚いた。気が付いたら庭に蒔いた朝顔と夕顔が花壇を埋めるほど芽を出していた。急いで間引きしたり、葉を摘んだりしてすっきりした。危なく失敗するところだった。朝顔などを育てるのは去年からです。緑のカーテンとか形容されるように、南に面した窓が緑一色になり、強い夏の日差しが柔らかくなる。冷房効果以前に綺麗だし、花が咲けば嬉しいものである。ただ、最近?のそれは色がケバイ気がする。祖母が住んだ武相荘に夕顔があって、それがタイトルになったエッセイもある。やさしい白色だった。 嬉しい知らせも届いた。先に訪れた大蔵寺の田辺ご住職からご本尊の薬師如来を特別に出品してくださるとの連絡がNHKの吉田さんに入った。三メートル違い一木造の薬師如来立像である。「かくれ里」らしい山奥だし、この機会にしか拝めないと思うし、何よりご趣旨を理解して頂いたのが嬉しかった。これは祖母との縁以外何物でもない。代表作「かくれ里」にこう記している。少し長いが引用する。 正直なところ、私は、大蔵寺の環境や建築には感心しても、中身の仏像にはあまり期待が持てなかった。藤原時代の仏像にもピンからキリまである。こんな山奥に、ろくな彫刻があるわけがないと、内心そう思っていたのだが、本堂の扉が開かれた時、それはみごとに裏切られた。実に美しい仏なのである。といっても、特別すぐれた彫刻というのではなく、あきらかに地方的な作なのだが、そこにいうにいわれぬうぶさがあって、時代とか技術を超越したものが感じられる。殊にお顔がいい。推古仏に似た表情で、八尺八寸の長身から、無心に見おろしていられるのが、藤原初期よりずっと古様に見える。こういうことは、敦煌の彫刻などにもよく見られるもので、田舎作であるため、かえって古式を伝えているのだ。専門家はみとめないかも知れないが、完全無欠な仏像より、私には、こういう仏様の方が親しめる。お堂の内部も気に入った。ふつうの寺の内陣とちがい、よけいな飾りつけがなく、お厨子も簡素なのが、この仏をよけいたけ高く見せる。およそ密教とは似ても似つかない、開放的な雰囲気で、じかに仏にまみえるといった感じである。(「宇陀の大蔵寺」より)今週は飲みに出かけずお篭もりの週にした。週刊ポスト、家庭画報、いま書いている新刊など来週ほとんどいないので、締め切りとゲラチェックだけに追われていた。書き下ろしは大変だが、本をつくっている過程が楽しくもある。香港の茂木さん、ゲラを送っているので宜しくお願いしますね! 従って表に出ていないので、写真がない。先般、買えずに通り過ぎたデルフトの大皿を載せる。今、見てもいいなー。やっぱり稼がねば!!! 平成21年6月8日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第22回 〜長良川 鵜飼〜”が掲載されました。 平成21年6月6日(土) 福森邸に行く。初夏を味わいに昨年は鮎釣りにご一緒したが、今回は鰹、蛸、そして鮑を堪能した。ポストの中島さんたっての希望で、吉野の鮎まで寄せて下さった。焼き加減が素晴らしく まだ早い と言いながらたらふく食べる。ラフロイグが何本か空きいい具合になる。残念ながら蛍は見れなかったが、自然からの恵みにあふれた国だと改めて思った。 奈良に出て古梅園に墨の製造を垣間見る。昔ながらと簡単に言うけど大切な労力だと思う。最近は墨を使うこともなくなったけど、たまには写経をしようかと。帰りに宇治の禅定寺と大蔵寺に立ち寄る。大蔵寺は十年ぶりだったけど、御本尊の薬師如来、毘沙門天、地蔵菩薩 蝋燭のあかりで拝見する。荘厳なる時間だったし、じっと三メートル近い一木作りの仏さまを拝んでいると柔らかい指先が動いたように感じる。木に魂がある なんて言葉にするのも憚れた。夕方中島さんから重版の連絡を受ける。素直に嬉しかったので、それで何部と聞いたら それは油井に聞いて下さい という。引き続き宜しくお願いします! 鮎の塩焼き 中島鮎 鰹 藁で焼く 古梅園 平成21年6月1日(月) 家庭画報に「生誕100年に向けて:祈り−白洲正子が見た日本人の信仰〜第四回」が掲載されました。 平成21年6月1日(月) 週刊ポストに、“白洲信哉 続ニッポンの流儀 第21回 〜ホーランエンヤ〜”が掲載されました。 バックナンバー 平成30年
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