平成22年5月31日(月) 内浦神社 円空 聖観音坐像 天候不順。過し易いのだが冷夏が心配だ。2年続けてうまくいった朝顔の成長がかんばしくない。芽は出るけど蔓が延びてこない。寒暖があるのが原因だと思う。 昨年選んだ総理が8カ月で終わりそうだ。二人そろってやめるんだろう。政治家にとって一番大事な「選挙」。第一が選挙な政治家ばかりだから遅々として進まない。せっかく政権がかわったのに、停滞だ。参議院がいらないとまで思わないが、腰を据えて事に当たれる体制が必要な気がする。安保を見直すいい機会だったのに、しばらくはこんなチャンスはないだろう。自分の播いた種だから仕方ないが、信任をしたわれわれも見る目がなかったということだ。今日細川元首相から日経で発売される「回顧録」が送られてきた。もし、はないけど「今なら」という思いはしてくる。でも、少なくても「やる」と言ったことはやって辞めたとは思っている。 今度のアップルの新製品はどこまで必要かは別にして、僕にも使えそうだ。最近の情報発信の機器をみていると、伝える手段が格段に広まったように思う。出版のかたと話す機会が多いけど、テレビとかラジオとかそうした枠組み自体が不要、というか今までのシステムが機能せず、かわっていくだけなんだと思う。文字は不変なんだから、しっかりしたものを残していかないとならない。 北海道 駒ケ岳麓の アスパラガス 平成22年5月31日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第21回 〜朽ちてもなお優美な名仏〜》が掲載されました。 平成22年5月26日(水) 仏が浦 ここも怖い! 新国立美術館の「オルセー展」に行く。旧知の井上Pにも久しぶりにお会いする。かれが「ライフワーク」というように、長年オルセーとの付き合いでできた大展覧会。ゴーガンの「雪のブルターニュ」「キリストの自画像」など初めて見る作品もあったけど、多くは見慣れた?もの。セザンヌ、ゴッホ、モネ 確かに凄いと思うけど「近代」はもういいや、という気分だった。新国立、というけどちっとも新しくはないし、今時分駐車場のない施設をつくることが僕はおかしいと思う。 毎日ニュースをみるたびに腹がたつ。首相官邸を普天間の隣に移動したらいい。あんな危険なところに基地があることがおかしいのに、「時間をかけて解決しましょう」なんて澄まして言う人がいる。頭が大丈夫だろうか?県外とかいう前に、すぐあそこを移転しないとならない。それにしても普天間を引き受ける地方自治体がいないというのも本当に悲しい。 でも、国を守る、抑止力 というけど、そんなもの本当に必要なんだろうか?日本はアメリカがいないと駄目だと思っているかもしれないけど、いざとならばいくらでも兵器をつくれる技術もあるし、それ以上に、そんなことを必要としない世の中をつくるときに、憲法九条戦争放棄 が輝いてくるんだろう思う。韓国と北朝鮮のことも心配だけど、基本的には同民族のはなしなんじゃないのかな。 制度とか考え方というのは永遠なものではなく、疑ってみるところからなんでも始まる。決まったルールなんてものはないんだから。 総理秘書だったときに、当たり前にあったことを押し付けようとする体制側からとの戦いの毎日だった。どこへ行くのも総理車。案内役がつき日程は逐一報告しないとならない。記者とその日最後の会話に、総理は何時に寝ましたか?というものに答えるのだが、「そんなのしらねえよ」と内心思っていた。 一番腹がたったのは、総理がTVカメラにむかって話そうと思っても出来ないことである。今も記者の質問に答える形で、TV画面に総理が出ているが、あれが「内閣記者会」というシステムの範疇ではいっぱいのことなんである。米国では(すべてがいいとは思わないけど)大統領が直接言いたいことをTV画面で言えるのである。当たり前の姿であろう。これが規制で出来ないということを、どれだけの人が知っているんだろうか。すべてのシステムは、既成の価値観で動いているんであろう。 政治、反体制派、マスコミ、市民活動家などなど、自分たちの都合で発言しているだけである。沖縄の知事だって、内心は基地がいてお金がまわってきたほうがいいと思っているし、社民党もただ騒いでいるというのは誰もが感じていることだと思う。まともな感覚じゃない。まあ、さっきのTVのことだって、話したいと思えばインターネットとかで出来るんでしょう?英国の政権交代をネットで中継していたらしいけど、いまはそんな時代である。 最後に鼻につくこともう一つ。「減税 補助金も」というCMだ。いつまであんなことやっているんだろうか。減税も補助金も「税金」なんだ。ずいぶんと持て囃されているけど、僕にはこの前あったジョージアの息子の方が数段子どもらしくかわいかったように思う。軽薄な内容を毎日垂れ流す自動車産業は確実に衰退にむかっている証明だと思う。高速料金と重なって影響受けている鉄道は、個人の移動だけではなく物流からも優れたシステム、それをなくしちゃったトラック輸送。いろいろ言ったら切りがなくなってきた。 平成22年5月24日(月) 登れなかった断崖を 登る酒井さん 撮影:太田真三 久方ぶりに恐怖と言うものを味わってきた。 ポストの取材で北海道の円空の軌跡をおう。 千歳で飛行機を降りてレンタカーで有珠にむかう。いつも思うことだが、車を借りるのに空港を降りてから、当たり前のようにレンタカーの営業所まで移動する。千歳はちょっと遠かった。民業圧迫、と言葉では言うが空港前は公団の駐車場が占拠し民間が入り込めないのであろう。こんなこと、欧州ではありえない。旅行者の利便性なんて考えていない結果だし、日本人は本当におとなしい。仕分で駐車料が高いとか細かなこと言っているし、観光で誘致したいようだが、もっと旅をする人のことを考えなさい。千歳空港ではレンタカーの案内看板すらなかった!!! さて、有珠の観音島、内浦神社、駒ケ岳、称名寺、根崎神社など円空仏を見て回る。江戸時代、松前藩はあったけど、修行僧が歩いている姿は異様にうつったのではないだろうか。しかも、仏を彫りながら歩き回るのである。有珠や駒ケ岳の噴火を鎮めるためとも言われているが、残された仏像に真摯な祈りをみることができた。詳しくは考えて書こうと思う。 「恐怖」というのは、円空が籠った「太田権現」でのこと。ここは当時藩の外、異国であった。海沿いに車をとめ鳥居をくぐりのぼっていく。入口からちょっと変で、参道である階段にロープが上から二本垂れ下がっていた。階段と言っても急傾斜甚だしい!登りきると本殿があるのかと思ったら、まだ上へ上へとロープが導いてくれる。現実のロープがなければ上がることが不可能で、おまけにブヨの大群がまとわりついてくる。これには参った。はらえどはらえどブヨはたかってくるし、両手はロープでふさがっているのでどうしようもない。 最初からちょっと舐めていた。こんなしんどいならちゃんと準備をしてくればよかった。われ関せずとカメラマンの太田さんはどんどん登っていく。後ろから酒井さんもせまってくるので仕方なく頑張ることにした。一時間近く経ったであろうか?だんだん遠くに海が見えてきたと思ったら、視界がひらけ「橋」?のようなものを渡ると行き止まりになる。あらら、と思ったら4M頭上の断崖絶壁から太田さんの声がして、「この鎖に足をかけて登ってきてください あと少しです」という。冗談じゃない。振り返れば遥か下まで絶壁で、青く綺麗な海がみえたと思ったら、足が震えてとまらない。僕は高所恐怖症なのだ。酒井さんに「お先」と言うのが精一杯で、何度も転び四つん這いになりながら急斜面を降りた。いつまで追ってくるブヨに僕は半狂乱。何ども大声で叫んでいたら、下から中年の夫婦があがってきて「大丈夫ですか?」と言われた。全然大丈夫じゃない。いまも痒くて痒くて、そして思い出すのも嫌である。「あと少しだったんではないですか」と言われたけど、僕はちっとも後悔していない。カメラも持って登ったけど、余裕がなく一枚も撮れませんでした。御免なさい。 余裕の太田権現 太田権現 初めからここに行くと 分かっていれば 登らなかったであろう 函館から大間に渡り 長福寺の円空仏 太田権現本殿から 日本海をのぞむ 平成22年5月24日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第20回 〜万葉集にうたわれた石の宝殿〜》が掲載されました。 平成22年5月17日(月) 御柱 秋宮1の先端 どうもあるかたにモノモライをうつされたようで、目薬を買ってつけている。今日は大分いい。同じ日、小池さんと朝まで布団もかけずに雑魚寝していたせいか?鼻水がとまらない。目と鼻がやられて集中力低下。そんなときに、英国で世話になった姪御(ジョージア)さんが日本に来るというので(義理で?)会いに行く。普段使っていない脳の回路を使ったせいか、帰るときはくたくただった。脳にはいいことなのかもしれないと思ったけど、わが国に来たのに、当然のように母国語を話すアングロサクソンの神経にはいつも腹がたつ。われわれがあちらに行って、話す努力をするのは当然だし、そんなのはちっとも苦痛ではないんだけど、こちらで当たり前のようにあちらの人間にあわせないとならない、というのは合点がいかない。まあ、そんな程度の能力だといっていまえばそうなのだが、「少しはすまなそうにしろよ!」と思う。 頭と目と鼻がいけないときは、おとなしくしているに限る。NHKの川良さんが作製した「春日大社」のビデオをみた。おん祭りで同じ場面をみていたこともあるけど、本当にすばらしかった。ただ映像が綺麗なだけでなく、春日の深部に入ってようなものだ。正月に興福寺の僧侶が春日の本殿でお経を唱えるときと、11/9に春日の山宮にお参りするのには行ってみたいと思った。また、秋田さんに相談してみよう! カメラマンの六田さんが参加した大峯修験のビデオもなかなかよかった。あそこまでは嫌だけど、ゆっくり歩いてみたいな。いつか桜本坊の巽さんが、「植生がこの十年でずいぶんとかわってしまった」という言葉を思い出した。急がねばならないかもしれない。 平成22年5月17日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第19回 〜33年ぶりに姿をみせる忿怒相〜》が掲載されました。 平成22年5月11日(火) 旧御射山遺跡 椿山荘の「シンラアート」で講演後、最終で京都へ行き、翌日は古都逍遥の取材で五箇荘の藤井邸へ。ゲストは脚本家の田淵さん、短い時間だったが脚本というのも難しいものだと思った。修復の岡さんが風邪にかかり、夜の予定はキャンセルになったので御前高辻の「魚津屋」にいく。この前いまひとつだった桑名のハマグリは肉厚で、鳥貝や地アユと急な予約なのにいつもながら感心する。 そして、再び御柱へ。マリオの熊沢さんにまたお世話になる。里曳では柱の上にも乗せて頂いた。簡単なように見えるけど、バランスとるのは結構大変、でも神となった柱に乗ることができて、ますますこの祭りのが好きになった。やっぱり祭りは参加するものだね。下社の春宮、秋宮を交互にまわりながら、ひと月前雪で行けなかった霧ヶ峰の旧御射山遺跡へ。諏訪の起源、のような場所で、八ヶ岳や御岳、北・南アルプスと360度視界がひらけており、窪んだ中心を囲むように桟敷席があるようにみえる。祭司に何万の人が参加したような地形である。上社にも同じような場所があるというし、先史時代から人の営みがあったのであろう。近くの地面には黒曜石がちらばっていた。狩猟民族は豊富な石で鏃をつくり、感謝しつつ狩りをしたのであろう。諏訪社に残る御頭祭りはその名残である。レプリカでなくやってもらいたいものだ。 山を下りながら下社の山出しの場所に改めて行く。やっぱりこっちのほうが迫力あるし、春宮の境内に入るときも狭い場所で木落としがあることを知る。一度や二度では御柱はわからない。秋宮の四つ目の柱が建つ頃は日も暮れどしゃぶりになった。大人が真面目な態度で木にしがみついでいる姿には感動する。不幸にして祭りで亡くなったかたのご冥福を祈りつつ、「神事」の大切さを伝えていって欲しい。 最後に読者のかたから、以下のようなメールを貰った。「ところで写真の綺麗さにいつも驚きを覚えるのですが、どのカメラ、レンズその他アクセサリーをお使いになっているのか教えていただければ幸いです。」 そんなことを言われるともっと真剣に撮らないと、と思うけど太田さんに「これで十分」と言われたパナソニックのLumix G1というカメラを使っています。レンズも特別なものではありません。でもとっても軽くて、確かに僕には十二分です。 下社木落としの松 次回はここから降りようと 春宮4の御柱へ近寄る熊沢さん 秋宮1 これで半分くらい 建ちました。いま、冷静にみると、 やっぱり変な人たちだ!!! 秋宮拝殿 木やり衆 本当に素敵な声です 目立ちませんが、 長持もなかなか見ごたえあります 平成22年5月10日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第18回 〜樹齢二千年超の大楠がそびえる“日本総鎮守”〜》が掲載されました。 平成22年5月5日(水) 若狭円照寺 大日如来像 端午の節供、なんで子どもの日なんてどうでもいい名前なんだろう? 節供、というのも大事な文化ではないだろうか。もとは田植えの神事として、屋根を菖蒲などで設えた小屋にこもった巫女に由来する。つまり女性の祭りであった。それが菖蒲が尚武と武家の世になり「勝負」につながり、男の子の成長を祝うものになる。いつの時代も生活にあったものに変えていくのが我が国の伝統である。そういう意味では「子どもの日」というのも仕方のないことかもしれない。 沖縄のニュースをみていて本当に情けない。「腹案」もないことはわかっていたけど、これほど酷いのは珍しい。政治主導、というのは結局こんな程度ということだ。外交はプロがいないと成就しないのはその通りだと思うが、安全保障のプロだというどこかの党首も、政調会長も結局は机上の理論で、戦場に行ってた経験のある米国の国防の連中とは比べることはできない。彼らは米国の代弁者で、現状維持しか求めていないんだから、あのテイタラクよりもっと不愉快だ。ここは素人らしく、国民が思っている「素朴な疑問」を投げかけたらどうだろう? プロのかたは抑止力というけど、それは米国にとって都合がいいだけで、かれらは日本にいるのが楽なのである。メリットがなくなれば、かれらはさっさと出ていくと思う。グアムに移設する6000億は支払わん、と言ったらどうかな。あれは彼らの都合なんだから。安保体制がなくなって困るのは米国で、ひとつの基地の移転がうまくいなないくらいで、いまのメリットを放棄するとは到底思えない。かりにいなくなって我々は本当に困るのだろうか。安全保障の最大の武器は外交であり、国際世論である。国土のある一部に外国の軍隊が常駐することは不愉快だ。という表明こそ、素人総理が出来る唯一の道なんじゃないだろうか。 平成22年5月1日(土) 「目の眼」6月号“話題の人 巻頭インタビュー”、「家庭画報」6月号“天平の国際都市・奈良へ”、「Grazia」6月号“私の部屋のいちばん美しいもの”が掲載されました。 バックナンバー 平成30年
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