平成22年6月28日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第24回 〜しとやかで美しく輝く本尊〜》が掲載されました。 平成22年6月25日(金) 天一神社 詳細は何号かのちの 週刊ポストをご覧ください。 決勝トーナメント進出おめでとうございます。3点もとれるチームだったとは恐れ入りました。 世界の映像をみていると、観衆は首都の広場に集まって応援している。我が国はサッカーのスタジアムや渋谷の交差点という貧相な様相だ。国をあげて応援出来る場所はないのだろうか?皇居前広場において他にはないんじゃないかな?松林の道路くらい解放しないかな。まかり間違って決勝までいったときには、国をあげたものに相応しい場というものを考えて貰いたい。 それを考える国の選挙がはじまった。サッカーの映像に比べるまでもなく、「恐怖のワンパターン」に感じるものはなにもない。さっさと投票だけは行こうと思うけど、市民運動家の政治センスのなさには呆れるばかりだ。相撲の問題も同様だ。野球賭博 というのは違法なのでしょう。やっている当人が逮捕されないで、恐喝したという容疑者が逮捕される。なんだか変だ。 以前勤めていた細川元総理の美術館がある目白本邸には、横綱が土俵入りしたときの写真が残されている。誰だったのか定かではないが、聞いた話では、相撲の免状(横綱だけだとおもう)は、熊本の吉田司家というのが権利をもっていた。横綱に推挙されるたびに熊本まで免状をもらいに行ったという。明治の中央集権化で多くのものが東京に集中し、前出の細川家などの大名家も東京に移住し、殿様が吉田司家のその職務を代行していた時期のことだそうだ。いまの明治神宮で行われる土俵入りに近いものだと思う。詳細は不明だが大正の頃に発足した相撲協会が、全国的な組織に統合していったのであろう。 相撲は国技というか、どこの地域でも秋祭りなどに神様に奉納したもので、神社には能舞台と並んであったものだ。相撲の免除が熊本の家に権限があったというのも、地方の文化として発展していった一つの証拠である。熊本にとってもつくづく惜しいことをしたと思うし、近代国家の合理化の名のもとに犠牲となったものがたくさんある。いまやこれだけ交通網が発達したのだから、どんどん地方に戻す運動をしないとならない。東京は経済都市であって文化都市ではないと思っている。 平成22年6月21日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第23回 〜「うば桜」伝説が残る古刹〜》が掲載されました。 平成22年6月20日(日) バーでパソコン開いて 仕事をする賢いホームレス また、茂木さんに日記の種を与えてしまった。(クオリア日記本日付)。前回は下着を裏返すことが受けていたけど、賢いかたなんだが「アルファロメオってどこの車?」と真顔で聞いてくる。火山で帰国出来なくなれば、チェコからミュンヘンまでタクシーを拾う人です!。僕はレンタカーを借りるけど、人の思考というのは多様である。アルファはなくならないけど、ITの機器なんてすぐ消えてなくなるので、その名前なんてあまり意味があることだとは思わない。まあ、これも同じ理屈だから、反論しても仕方ないけど、なにか言わないと、かれが普通だと思う人が増殖するのはいかん。あるかたが「かしこいホームレス」と命名したとそうだが、「ある一面はかしこいホームレス」であろう。 でも食事をしていて、「ちょっとトイレにいってくる」と言ってなにかをわしづかみにして出て行ったら、青い22番のユニホームに着替えて帰ってきた。誤解あるといけないので言っておきますが、僕は負けることを予言しているのではなく、応援して負けると本当に悔しいだけなのです。そういう真剣さがちと足りないと思う。 ワールドカップの年に英国にいたことがあった。ドイツ(確か)との決勝でイングランドは敗北したんだが、負けたとたんパブのなかは「しーん」となって、滞在していたヨークの町から人が消えた。応援する一種の覚悟があるんだと思った。 でも、今度のデンマーク戦はちゃんと応援しますから、(いい年してユニホームまで着る勇気はないけど)子どもっぽい行動はかれの美徳だから、それについては言う事がないです。いまは「たにがわ」に乗れたことと、稲妻に打たれないことを祈念しています。 平成22年6月18日(金) 藤白峠 地蔵堂 ポストの取材で和歌山、奈良、京都を巡りもどる。今回はブヨの襲撃はなかったが、梅雨の合間となり天候に翻弄される。熊野古道の入口にある巨大なお地蔵さま、状態も非常に良好だった。桜井の石位寺の見事な白鳳仏。区長の森本さんほか村のかたの愛情が伝わってきた。お土産の三輪そうめんも美味かった。 談山神社の長岡宮司に天一神社までご案内頂く。前先生とも御懇意でいらしたそうで、これからいいご縁につながれば嬉しい。翌日は柳生、当尾辺りを周回したくさんの石仏を拝むことができた。春日の後戸に弥勒の信仰が隠れている。「石」を考えるのにもここは外せない地域であろう。 帰路、一元堂さんと合流し、旧知の神山繁さんにお会いする。骨董の世界では大先輩だが、「欲望」というものに衰えを感じない。手入れがいきとどいた庭もなかなか。恐れ入りました。奥高麗は「天下一」にぴったりでした。次回は手土産持参するので、「土産」を宜しくお願いしたいと存じます。 これから福森さんが来る。今週は酒つけの日々である。 石位寺 天岩立神社 岩船寺 大門峠 磨崖仏 平成22年6月7日(月) 週刊ポストに《白洲信哉 ニッポンの神仏 連載第22回 〜一遍上人の声が聞こえてくるよう〜》が掲載されました。 平成22年6月6日(日) 昭和新山 菅直人さんが総理大臣になった。旧知の樽床さんが対抗馬になったのには驚いた。内容のない演説にはちょっと閉口するけど、彼らしい浪花節に好感をもつ。日本新党には、「国のため」とかいいながら、向上心の塊のような人たちが沢山寄ってきた。そしてそれを踏み台にして次へと渡っていく。それは仕方ないことにしても、樽床さんは最後までご一緒した数少ない人だ。「義」なんて時代遅れのことなのかもしれないが、僕は大切なことだと思っている。しかめっつらしたどこかの大臣や、細かなことを論理的に議論して(たいしたことしていないのに)、自分が一番偉いと思っているような奴らは頭くる。 相変わらず小沢さんは人気ないけど、あのくらいの強面がそのうち懐かしくなると思う。四億円の原資が不明で処理が変だそうだが、クリーンなんて政治に求めることが不可能、いや世の中クリーンなことばかりで成立していなことはみんなが分かっていること。問題は税金を不正に使ったり、贈収賄があったりすること。法治国家なのにちっともそうではない。空気に流されるのは日本流だとは思うけど、我々が政治家に払い続けたコストを、もう最後を迎えている悪役に託してもいいんじゃないかな。「日本改造計画」なかなかの名著ですよ。これからどうなっていくかわからないけど、この党はこれで打ち止めかもしれない。「くさいものに蓋」をして、見かけをいくらよくしても、意味のないことだと思うし、その弊害だってあろう。可も不可もない「なんだかよさそう」な子どものような政治家が多いのは、「国難」とかいうけど、現状はそうでないことの証明なのかもしれない。 今日はこれから京都日帰りしてくる。 6月6日に雨が降るという歌が子どもの頃にあった。今日はいい天気のようだが、毎年この日にその歌を思い出す。でもなんの歌誌だったかは思い出せない。 バックナンバー 平成30年
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